今日は入電も少なく、暇を持て余す一日だった。
コールセンターという仕事は入電が多すぎたら辛いけれど、入電が無さ過ぎても辛いというなんとも因果な仕事。
AIによって無くなる仕事の筆頭格と言われて久しいけど、現時点では求人も多いし人手不足という状態である。
ある日を境に一気に仕事が無くなるのかもしれない。
色々なコールセンターの職場を転々として感じることは、主婦が一番多く、次いでシングルマザー、その次に僕のような非正規未婚男女が多いような気がする。
あくまで、感覚であり、正式な統計はどうか知らんけどね。
自分も含め、大半は底辺人間の集まりというのが現状であろう。
斜陽産業であり、この先ずっと存在していけるような業種ではない。
団塊の世代が寿命を迎えるあたりから入電数も激減し、AIも発達し、コールセンターの仕事も無くなるのではないだろうか。
2040年あたりにコールセンターは絶滅する、というのが僕の見立てである。
僕のような低学歴でこれといったキャリアの無い人間やシングルマザーなど社会の低層の最低限の生活を守るセーフティーネットとしての役割でかろうじて存在しているような仕事であろう。
コールセンターに電話をするようなお客さんも息子や娘と疎遠であったり、そもそも独身で孤独な老人がメインである。
電話をかける方も、受ける方もいわゆる「持たざる者」と言えるのではなかろうか。
そういう視点で見ていくと、コロナ禍ですーっかり悪者にされている「夜の街」に相通ずるモノを感じる。
コールセンターも夜の街も、それらが無くても人間は生きていける。
しかし、どちらも理屈では割り切れない、命の本源的な寂しさを埋める人間にとって必要不可欠なものだ。
ないがしろにして良いものではない。
きれいごとだけで世の中は出来ちゃーいない。
過去に傷があっても、耐えきれないような恥があっても、死のうとしても、それでも泣きながら生きている人間がいる。
そういった者を受け入れる懐がある。
それが日本社会の本質ではなかろうか。
生き恥を晒しても、俺は生きる。
愛の中で生ききる。俺の恥も余さず晒し、愛する人の過去を受け入れる。